鎌倉文学館

2025/8/3 前田別邸洋館見学会 

 旧前田侯爵別荘

 三方を緑に囲まれ、南は広々とした海に向かって開いている絶好の位置にある、昭和戦前期の洋館を、鎌倉に縁のある文学者の資料の保管、公開を行っているのが鎌倉文学館です。
 建物そのものが重厚な洋風建築としての文化財の価値があり、その前提にはバラなど季節の花が咲き誇る洋風庭園となっています。
※2023年4月より、全館改装のため、2027年3月31日までの予定で休館中です。

  • 住所:鎌倉市長谷1-5-3
  • 電話:0467-23-3911
  • 入館料:500円(展覧会によって別に必要)  鎌倉在住の方は無料
  • 休館中(2027年3月31日まで) 

ミニガイド

  • 加賀の前田家の別荘
     明治23年頃、加賀百万石の大名前田家の子孫がこの地を別荘とましたが、関東大震災で焼失し、昭和11(1936)年に第16代の前田為利氏が再建したのが現在の建物です。前田家から土地・建物を寄贈された鎌倉市は、昭和60(1985)年に鎌倉文学館として1・2階を公開しています。
長楽寺跡の碑

長楽寺跡
 鎌倉文学館のある谷には、鎌倉時代には長楽寺というお寺があって、現在も長楽寺谷といいます。長楽寺は北条政子が頼朝の菩提を弔うために1225年(嘉禄元年)に建てた寺でしたが、1333年(元弘3年)の幕府滅亡の時に炎上し、廃寺となってしまいました。政子の遺品は大町の安養院に移りました。
石碑には次のように記されています。
「嘉禄元年三月二位ノ禅尼政子頼朝追福ノ為笹目谷辺ニ於テ方八町ノ地ヲぼくシ七堂伽藍ヲ営ミテ長楽寺ト号ス元弘三年五月北条執権滅亡ノ際兵焚ニ罹リテ焼失セリト此ノ地即チ其ノ遺址ニシテ今ニ小字ヲ長楽寺ト呼ベリ」
  昭和六年三月建之 鎌倉町青年団」

玄関へ

鎌倉文学館

 文学館内は残念ながら写真撮影は出来ません。ゆっくりと鎌倉ゆかりの作家たちの遺品をご覧下さい。文学館の庭園には、季節になるとバラが咲き乱れます。また典型的な谷戸に造られた鎌倉時代の寺院です。静かに鎌倉時代を、そして北条政子を、さらに幕府滅亡時の騒動に思いを馳せるのも良いでしょう。

玄関
よく見ると三階建
全景

 明治23年頃、加賀百万石の大名前田家の子孫がこの地を別荘とましたが、関東大震災で焼失し、昭和11(1936)年に第16代の前田為利氏が再建したのが現在の建物です。前田家から土地・建物を寄贈された鎌倉市は、昭和60(1985)年に鎌倉文学館として1・2階を公開し、鎌倉で活躍した文学者を中心に、資料の収集・研究、そして一般公開をしています。(現在は休館中)

二階から庭園と海が見える
この先にバラ園があります
裏山の緑 2016/6/6
帰り道

 2025年夏、鎌倉市民に意外なニュースが飛び込んできました。「旧前田邸洋館が今年を以て取り壊される」というのです。
 旧前田邸洋館とは、現在、鎌倉文学館となっている旧前田侯爵家別荘の本邸に対して、別荘敷地内にある、前田家の御子孫が使っていた洋館(別館とも言われています)のことです。鎌倉文学館が取り壊されるわけではなく、今回、問題となっているのはこの洋館の方です。

9:50 前田別邸門前 長蛇の列です
別邸が見えてきた
強い日差しの中、開会を待つ

 解体を事前に知らされていなかった市民の要求によって、7月30日と8月3日に鎌倉市が一般向けの説明会を開催しました。7月30日がカムチャッカ地震による津波警戒警報が出されたため中止となったので、8月3日(日)10時の現地説明会に参加し、初めて旧前田邸の中に入る事ができました。
 もしかしたら、これが「お別れ見学会」になってしまうかもしれないという危機感からか、酷暑の中たくさんの方が集まり、熱心に見学し、説明を聞き、意見をぶつけました。まずは、どんな洋館とで、その内部はどうなっているのか、をお伝えします。

別邸玄関
ガレージ上 前田家の家紋「加賀梅鉢」
ガレージ どんな車が置かれていたのかな

 30人ほどずつ、順番に中に入れてもらう。先ず目についたのは、玄関脇の小部屋の剥がれた壁紙。玄関正面の傾いた剣と盾の飾り。

玄関脇の小部屋
傾く剣と盾

 1階 応接室と居間

応接室 ソファが4つ 残っている 誰が座るのだろう
応接室の細かい寄木の床
応接室 レコードケース この上にオーディオがあったのだろう
応接室から見た庭

 居間の備え付け家具

 人が住まわなくなるとこうなるのか。
 それにしても鎌倉市は、この市民の財産を、15年間もほったらかしにしていたとは。
 建物内外から泣き声が聞こえそうだ。

 2階へ

階段脇のステンドグラス
2階見学の様子 右が寝室

 最後は前田家のお年寄りの女性がお一人で住まわれていたという。ここがその寝室であろうが、何という荒れ方だろう。まるで地震の後のような。

寝室 ベッドが1台
ベッドの上の丸窓 なんと手の込んだステンドグラスででしょうか
浴室

 手洗いと浴室は各階にありましたが、2階の寝室の隣はひときわ立派でした

 3階の和室

仏壇跡でしょうか
和室の出窓

 3階の和室はこじんまりとして、質素な作りでした。

 階段のかたち

 勝手口から外へ

ガレージの中 
新管理棟、カフェの建設予定地

 さて、鎌倉市は何故この洋館を壊そうとしているのでしょうか。現地説明会で鎌倉市文化課の若い担当者が、汗を掻きながら説明した「解体理由」は次の3点でした。

  • 邸宅仕様のため、公共施設として必要な機能の整備が困難。
  • 保存・活用には多額の初期費用と維持管理コストが発生。
  • 建物が土砂災害特別警戒区域内にあり、安全確保が困難。

 また、前提としてこの建物は1971年に住居用として建てたもので、文化財としての保護対象にはならない(鎌倉文学館は登録有形文化財に指定されている)という。 
暑い中、残って説明を聞いていた皆さんから、さまざまな質問、疑問が出されました。

  • 前田家から寄贈されてから15年間も放置したのは何故?
  • 文化財としての価値がない、というが本当なの?
  • 解体するって、市民の意見を聞かずに、誰が決めたの?
  • 保存・活用には維持費が必要と言うけど、新しい建物を作るのにも高い費用がかかるのではないの?

 

 などなど、書き切れないほどの質問が出ました。しかし、市の解体という姿勢は変わらず、今日の「これ、イイね」アンケートで残してほしいという部分が多いものは、残したい、というだけで終わりました。

 家を壊すのは決まってる!残したい部分(ステンドグラスの飾り窓や照明器具ということかな?)はすてずに記念に取っといてやるよ、という態度ですね。
 どうも、建物を物としてしか見ていないですね。この緑のなかの洋館というシチュエーションは、われわれ庶民には手が届きません。今日見学して感じたことは、これはいい家だ、こんな良い環境のいい家に住んでみたい!です。
 環境の中で生きる建物。建物によって生きる環境。これはくやしいけど旧大名家、旧華族、あるいは大財閥といった人々の邸宅でしかうみだされません。
 前田家の方が建物と土地を鎌倉市に寄贈したのは、旧大名家だから作ることの出来たすばらしい邸宅を、鎌倉市民の皆さんで使ってくださいね、とい仰っているわけですから、庶民階級として喜んで使わしてください、もったいなくて壊すなんて出来ません、となるのが心情ではないでしょうか。

 この旧前田邸が壊され、かわりに新しい管理棟やカフェを作るそうですが、それによって周りの木々が切り倒されることになります。
 この地は北条政子が夫頼朝の供養のために建てた長楽寺跡でもあります。その地に大名家の前田家が別荘を構えた。この洋館も含めた旧前田家別荘の景観には、鎌倉の歴史と文化のエッセンスの詰まっています。簡単に景観を変えるべきではありません。

旧前田邸せいもんのたたずまい

 おわりに今日の説明会で示された、鎌倉文学館の新施設完成予想図がどんなものか、文学館前から海側を見た現状の写真と見比べてください。

2023年3月14日 文学館前から海を望む
2025年8月3日 説明会での新施設完成予想図

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