釈迦堂口遺跡

2026/3/2 地蔵やぐら

 鎌倉の市街地にほど近い山中に、釈迦堂切通(トンネル)があり、その上部や周辺には鎌倉時代のやぐら・石造物がたくさんあります。トンネルの崩壊のおそれがあるということで、長らく通行禁止になっており、周辺遺跡も立ち入ることが出来ませんでした。
 切通の付近には鎌倉文化の特徴である「やぐら」がたくさんあり、平場からは遺物も出土したことから、かつては吾妻鏡の記載などをもとに、初代執権北条時政の邸宅があったところと考えられていましがが、鎌倉市が発掘調査を行った結果、現在までに鎌倉前期の遺構・遺物は発見されておらず、時政邸であったことは確認されていません。今のところ、平場からの出土品などから、この地は鎌倉末期から室町時代の寺院跡ではないか、とされて2010年に国史跡に指定され、遺跡名も「大町釈迦堂口遺跡」と言われています。
 長く遺跡は非公開とされていましたが、今度ようやく一般公開の運びとなりました。ガイドツアーが2月26日から始まりましたが、鎌倉市民の方、市外の方、たくさん参加されました。そこで、3月4日に参加してきましたので、紹介させていただきます。

  • 公開期間 2月26日~3月11日(土日含む)
  • 公開時間 10時~16時
  • ガイドツアー ①10:15~  ②11:00~  ③14:00~    ④15:00~
  • アクセス 鎌倉駅東口 京急バス 鎌31 緑ヶ丘入り口行き 「名越」バス停下車 北東に徒歩約20分ぐらい

 地図A  名越バス亭から釈迦堂口遺跡説明会場へのルート。狭い住宅街を抜けていくので、曲がるところを間違えないようにしてください。

 名越バス停を降りて少し戻り、信号のある交差点から右に入ります。あとは、住宅街をひたすら歩くだけ。岐れ道だけ間違えないように進みましょう。

 今回一般公開される釈迦堂口遺跡は、釈迦堂切通の右手の谷戸から切通上部の山中にあります。まずは釈迦堂切通を訪ねましょう。
 分岐点cをまっすぐ進むと、途中からトンネルの入り口が見えてきます。これが大町側の入り口で、ここを抜けると浄明寺町内に抜けることが出来ます。しかし現在は崩落の危険があるところから、通行止めになっています。地図Aの地点①です。

 トンネルの上部には三つのやぐらが見えます。これはトンネルが作られる前にあったものでしょう。
 このトンネルを釈迦堂切通と行っていますが、古いものではなく、明治時代に掘られたものです。
 最近まで歩行者は通行できました。

 ここから分岐点Cにもどります。3月には見事な白木蓮の咲いている民家の左手に入り、緩やかな坂を上がっていきます。右手は住宅地、左手は空き地になっています。登り切ると正面に釈迦堂口遺跡の説明板があります。ここからが今回の公開エリアとなっています。

 釈迦堂というのは、伝承では北条泰時が亡父義時の慰霊のためにこの地に釈迦堂というお堂を建てたことで、お堂は廃絶してしまいましたが地名として残ったと言われています。地元では「しゃかんど」と言われていたそうです。
 今回公開されるこの地は戦後、某自動車会社の所有地となり、保養所のような使われ方をしていたようです。かえってそのため宅地化をまぬがれ、現在は鎌倉市が管理しています。

 地図B  2026年3月の一般公開

  • 地図B 地点⑤ やぐら

 「やぐら」とは鎌倉時代から室町時代にかけて、鎌倉を中心にひろがった独特の文化で、最も鎌倉らしい景観と言えます。これは武家の墳墓と考えられ、中に五輪塔などの墓塔が据えられています。供養塔である場合もあります。五輪塔も中世に流行した石塔の形態で、ほかに宝篋印塔などがあります。 → タグ 五輪塔

 これらが誰の墓であるかは殆ど判りません。鎌倉は平地が少なく、墓地が手狭であったため、山腹の岩をくりぬいて墓石を安置する「やぐら」が作られたと考えられています。一般庶民はやぐらではなく、海岸の砂浜などの共同墓所に土葬にされていたようです。 → タグ やぐら

  • 地図B 地点⑥ 平場

 この平場(北側平場)は「名越ヶ谷なごえがやつ」といわれる谷戸の最も奥まったところに築かれています。2008年の発掘調査で13世紀後半~15世紀ごろの掘立柱跡や礎石、石積み、火葬の跡などがみつかり、周辺のやぐらと一体となった寺院などの宗教施設の跡地であると考えられるようになりました。ほかには常滑焼の壺、素焼きのかわらけなどが出土しています。

  • 地図B 地点⑦ 登り口

 この階段は、昭和になってからの所有者が、裏山への遊歩道として作ったようです。ここを登っていくと、やぐらや切通が次々と現れてきます。

  • 地図B 地点8 唐糸やぐら

唐糸は木曽義仲の家人だった手塚太郎の娘で、頼朝の命を狙って鎌倉に来たのですが、捕らえられてこのやぐらに幽閉されてしまった、という伝説(室町時代の御伽草子にも出ています)から名付けられました。入り口には写真のような溝があり、かつては扉が設けられていたと思われます。中に石塔はありませんが、かつてはあったのでしょう。内部の玄室は幅4m、奥行3.3m、高さ1.8mの奥の深いやぐらです。

  • 地図B 地点9 地蔵やぐら

 地蔵菩薩は坐像で、台座と光背もともに岩盤から直接彫りだされています。二重の光背を背に、高い台座の上にどっしりと構えておられます。両側の大型の五輪塔は鎌倉石の風化が進んでいますが立派なものです。
 地蔵やぐらは幅最大4.8m、地蔵菩薩の彫られた壁面は幅2.8m、奥行3m、高さ2.2m。鎌倉のやぐらの中でも貴重な例です。(この画像は栗原絵里子さん撮影)

  • 地図B 地点⑩ 橋を架けた切通

 この人工的な切り岸は、上部に橋が架けられています。かつて遊歩道として使われ、衣張山につながる山道でした。
 現在は崩落のおそれがあり、通ることは出来ません。
 この上部左手には、今も東屋が残されています。
 この切通が、トンネルが作られるまでは、大町と浄明寺とを結ぶルードだったのでは内でしょうか。

  • 地図B 地点⑫

  釈迦堂のトンネルの上部の峰を伝って、日月やぐらのあるブロックに向かう。この手すりの左側が大町側、右手が浄明寺側。どちら側をみても鬱蒼とした樹林がみえるだけで、下の様子南側(左手)にかすかに道が見える程度。それでも遠くを見ると、海が光って見えた。

  • 地図B 地点⑬ 日月やぐら

 しばらく行くと、峰伝いにやぐらが並んでいます。数えてみると7つあり、そのうち手前から3番目の大ぶりのやぐらが「日月じつげつやぐら」といわれる有名なやぐらです。やぐらの壁面に掘られた彫り込みをがんと言いますが、そのうちの二つは円形で、一つが太陽(日)、一つが月を示していると考えられることから日月やぐらと呼ばれています。
 やぐらの中には石塔が並んでいますが、いずれも形がふぞろいで、後にいろいろな石を組み合わせて積んだもので、本来のものではありません。やぐらの中の小型の五輪塔などは後に誰かの供養のために適当に石を組み合わせたものがほとんどです。

  • 地図B 地点⑭ 一番奥のやぐら

 この他にも、トンネルの上部にもやぐらが作られています。共通する事はほとんどが南面していることです。死後も明るい方を見ていたと思っていたのでしょうか。

  • 鎌倉市文化財課の説明では、今回の一般公開は3月11日で終了し、寄せられた皆さんの声を受けて今後どうするか検討したい、とのことでした。しかし、当面は一般公開が終われば再び閉鎖され、立ち入ることは出来なくなります。
  • 学術調査のための遺跡保存、あるいは安全の保障をはからなければならないという前提は理解できるとしても、釈迦堂口遺跡にみられる鎌倉独自の歴史的遺産であるやぐら群という文化財は市民の共有財産でもある。
  • 一般市民が身近に鎌倉の歴史と文化に触れ、学ぶ機会を保障するのも市の仕事であろう。そのためには文化財は景観を含めて保存をはかり、市民に公開するという原則を守るための努力を惜しまないようにしてほしい。
  • 自由参観が管理上困難であるなら、少なくとも小中高などの学生の授業での見学、市民グループの団体見学などは、申し出制・許可制でもよいから常時公開すべきである。
  • その場合は、現在の市の管理する文化施設のような年2回の限定公開といった「みせてやるぞ」式ではなく、見たい人・知りたい人はいつでもお申し出ください、という市民本位の視点が欲しい。
  • 今回の特別公開で連日多くの人が訪れているのは、それだけ市民の関心が高いということである。文化財の保護とはどこかの名刹の秘仏のように見せないことに価値があるのではなく、市民に公開してこそ意味があり、また観光資源としての利用も含め、活用して初めて市民の財産となるのだろう。
  • せっかくの釈迦堂のやぐら群の通常公開、さらに釈迦堂切通の通行再開を鎌倉市は推進すべきだと思う。

 次は、2017年の12月に、この付近を歩いたときに撮影したものです。当時は遺跡としては荒れ果て、ごらんのような様子でした。
 このときは、衣張山から山道をたどり、釈迦堂口遺跡の上部を通って切り岸の橋まで行き、もどって有名な唐糸からいとやぐら、地蔵やぐら、日月じつげつやぐらを見ることができました。
 現在の姿は、上に挙げた2026年3月4日の一般公開での写真をご覧下さい。現状とくらべることができます。

 さて帰りはせっかくですから、この鎌倉でも奥まった大町に残された、も一つのやぐら「黄金こがねやぐら」を訪ねてみましょう。

大町 黄金やぐら

 名越バス亭から釈迦堂への道をたどっていくと、途中(地図Aの地点ⓑ)に「黄金やぐら」という標識があります。帰りにここから右に入り、立ち寄ってみましょう。わかりづらいですが、地図Aをみながら探してください。

 黄金やぐらへの道

 分岐点の標識に従って入っていくと、左手の小川に沿って進みます。夏は蛍を見ることができるのでたいせつにしましょう、という地元の人がよびかけが川辺に立てられています。しばらくいくと右手に町内会の掲示板があるので、ここから右手の坂道をあがり、次第に山に近づいていきます。

 左手のガードレールにちいさな説明板を見落とさないように。これが黄金やぐらの説明板です。
「このやぐらは、かつて内部にヒカリゴケが発生してうっすらと光っていたため、黄金やぐらと名付けられたといわれています」という鎌倉市教育委員会が立てたものです。10年ほど前に訪ねたときは文字が読めないほど古くなっていましたが、2024年に付け替えられたようです。

 さてどれがやぐらかというと、このガードレールの下なのです。うっかりしていると見落としてしまいますね。ここまで来る人は少ないのですが、3月4日に訪ねたときは釈迦堂遺跡公開の帰り道に立ち寄った人が多かったようです。

 黄金やぐらでは、熱心にまわりを整備しながら、質問に答えてくれている方がいらっしゃいました。このすぐ先にお住まいの池田さんという方で、ながく鎌倉市内の小学校の先生をしていたそうです。

 池田さんのお話。

  • ここは衣張山きぬはりやまのふもとで、やぐらがたくさんあった。山の中は昔は鎌倉石の石切り場だったので、今でもそのあとが残っている。
  • 黄金やぐらはヒカリゴケがあって有名だった。昔は谷戸は畑だけだったが、西武が住宅地を造成したときに今のやぐらの前の高いところに道路が造られ、やぐらがかくれてしまった。
  • そのため、大雨が降ると水がたまり、やぐら全体が水没してしまう。しかし不思議なことに2,3日すると水はひいている。
  • やぐらのなかには今は何もない。正面に棚状の窪みがあり、昔は五輪塔などが置かれていたのではないか。鎌倉市がこのやぐらを調査したという話は聞いていない。

 この街中に埋もれてしまいそうなやぐらが、よくぞ残ったものだ、と思います。池田さんのように地元の人の努力があったからでしょう。「黄金やぐら」という立派な名前のあるやぐらで、関心のある方も多いでしょうから、鎌倉市は道路沿いの案内掲示なども工夫した方が良いのではないでしょうか。
 この前の道をさらに進み山道を登っていくと、鎌倉と逗子の境の尾根道にでます。左に行けば衣張山、右に行けば「まんだら堂やぐら」、法性寺、名越切通につながっています。

 10年も前に黄金やぐらを訪ねたことがあります。今と殆ど変わっていませんね。5月でしたので、イワタバコの可憐な花が咲いていました。

 この黄金やぐらが守られていくかどうか、歴史の街鎌倉が問われていると感じました。

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