若宮大路の下馬から左(東)に一歩入り、滑川にかかる延命寺橋をわたると右手にあるのが延命寺です。寺伝によると執権北条時頼の夫人が開基であり、時頼に関わる伝説「身代わり地蔵」や、住職の古狸の伝説などがあります。
- 宗派 浄土宗
- 山号 帰命山
- 院号 西向院
- 開山 専蓮社昌誉能公
- 開基 北条時頼夫人
- 本尊 阿弥陀如来
- 住所 材木座1丁目1-3
鎌倉駅から徒歩10分
運慶の木余りの像

第5代執権北条時頼の夫人が開基と伝えれていますが正確な創建の事情は分かっていません。鎌倉市中にある浄土宗(念仏宗)のお寺として、阿弥陀如来像を本尊としてイリ、町の中のお寺として庶民の信仰を集めていたようです。
赤穂浪士の一人岡島八十右衛門の三男が住持であったことがあるそうです。

かつては事前に申し込めば、ご本尊その他の仏様を拝観できましたが、最近ではお寺の事情でお断りされるようです。本堂の戸の外側に、張り紙ああり、どのような仏様がおられるかがわかります。

本堂内の仏像
右 弥陀三尊・両大師(浄土宗でおまつりする佛菩薩並びに祖師のひとそろい)
聖観世音菩薩立像(鎌倉三十三観音第十一番)
中央 阿弥陀如来座像(浄土宗のご本尊)
左 身代り地蔵尊(鎌倉二十四地蔵第二十三番)
・木あまりの像
本尊の阿弥陀如来像は木像で、運慶が新居閻魔堂の本尊である閻魔王像を彫ったときに余った材料で作ったので「木あまりの像」と言われます。また予定より早く仕上げたので「日あまりの像」とも言うそうです。
新居焔魔堂というのは、鎌倉時代はここより南の材木座の海岸にありましたが、後に北鎌倉の建長寺の前に遷され、現在の円応寺となりました。たしかに円応寺には運慶作と伝えられる閻魔像が残されています。
身代わり地蔵

執権北条時頼がある婦人と双六遊びに興じ、負けたら裸になると賭けたそうです。負けてしまった相手の婦人が困ってお地蔵様を念じたところ、双六盤の上に裸の地蔵様が現れて、その女性の身代わりになってくれました。
そのお地蔵様を表したのがこの「身代わり地蔵」です。裸体の女性像のお地蔵様で、口紅をさして双六盤の上にたち、ふだんは緋の衣に袈裟をまとっておられます。
昔からよく知られており、ときどき江戸まで出向いて出開帳されるほど人気のあった地蔵様です。一説には運慶の作とも言います。
古狸塚の伝説

本堂の裏手の墓地の一角に、小さな墓石があり、碑文に「古狸塚」とあります。
寺伝では、昔賢い狸がいて、住職の講話を聞いたり、酒を買いに行くなど世話をしていたそうです。
里人にもかわいがられていたそうで、そのたぬきが死んだときに、供養のために作ったといいます。