別願寺

足利持氏の宝塔

時宗 別願寺

 別願寺は時宗の寺院。一遍上人が開いた念仏宗系の宗派。本山は藤沢の清浄光寺(遊行寺)です。時宗の寺院は鎌倉では他に大町の教恩寺、西御門の来迎寺、材木座の来迎寺、十二所の光触寺、北鎌倉の光照寺があるだけです。
 別願寺はもと真言宗のお寺でしたが、公忍が一遍の弟子になり覚阿と名を変え、改宗したそうです。室町幕府が鎌倉においた鎌倉公方であった足利基氏・氏満・満兼三代の菩提所となったところで、かつては広い寺域を持つ、鎌倉有数のお寺でした。

  • 宗派 時宗   
  • 山号 稲荷山
  • 院号 超世院  
  • 本尊 阿弥陀如来像
  • 開山 覚阿公忍
  • 創建 弘安5(1282)年 真言宗から改宗
  • 鎌倉三十三観音霊場第十三番札所

新装なった別願寺

 鎌倉駅から東南に位置し、逗子に向かうバス通りに面しています。大町四つ角をすぎてしばらく行くと、左手に真新しい建物のお寺が現れます。寺院らしい大きな樹木もなく、山門もありません。かつての本堂は一見して普通の民家と同じでしたので、気づかぬうちに通り過ぎてしまうこともありましたが、現在は真新しい仏殿が出来上がり、目立つようになりました。

2023/4/28

 仏殿の前には4月末ならナニワイバラが咲き誇っているでしょう。また右手には、かつてはこんもりした立木だった藤が、うまい具合に藤棚になっています。

2025/4/30
2025/4/30
2025/4/30
2025/4/30

 後ろに迫っているのは祇園山。かつての別願寺はこの麓に広がる大きな寺院だったようです。このお寺で最も重要なのは本堂に左手墓所にある足利持氏の宝塔です。見落とさないようにしましょう。

2025/4/30
2025/4/30

かつての別願寺

 2023年4月、久しぶりに別願寺前を通ったら、すっかり様子が変わってた。以前は無いも同然だった本堂が立派な寺院建築になっていた。
 上の写真は現在の別願寺。ここから下の写真は2017年4月28日のもの。藤棚もなく、こんもりと茂っていました。

2017/4/28
2017/4/28

足利持氏の宝塔

足利持氏の宝塔

 墓地の中にある立派な石塔は、宝塔ほうとうといわれる形式で、鎌倉公方足利満兼の子の足利持氏の墓と伝えられる、たいへん立派なものです。実際には室町時代よりも前の鎌倉時代の建造と考えられ、国の重要文化財に指定されています。
 永享10(1438)年、鎌倉公方足利持氏は、室町幕府将軍足利義教と対立し、幕府側の関東管領上杉憲実との間で戦端を開きました。これが永享の乱ですが、持氏はこの戦いに敗れ、鎌倉の永安寺で自殺した武将です。

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