極楽寺切通を鎌倉側からのぼり、途中の左手にある成就院。鎌倉の「アジサイ寺」の一つとしても知られていますが、現在では変わった姿を見せています。
- 山号・寺号 普明山法立寺成就院
- 宗旨 真言宗 現在は京都大覚寺末
- 創建 承元元(1219)年
- 開基 北条泰時 本尊 不動明王像
- 鎌倉三十三観音霊場第二十一番札所
- 住所 鎌倉市極楽寺1-1-5
- ホームページ 鎌倉・成就院
成就院手前の極楽寺切通入り口の右側には、十井の一つ星ノ井があり、その隣には虚空蔵堂があります。いずれも鎌倉で重要な史跡です。虚空蔵堂は現在は成就院の管轄になっています。
ミニ・ヒストリー


この地は、古く空海が護摩供を行ったところと伝えられ、鎌倉の入り口にあたることから、重要な場所でした。鎌倉時代に入り、三代執権北条泰時が開基となってこの寺を開いたといいます。その後、極楽寺切通が作られるまでは、坂道は今の山門の前を通っていたと言いますから、けっこう険しい坂道だったのです。
成就院への登り口、左手の墓地に面した路傍の石仏たち。


それでも京から下って鎌倉に入るにはこの坂道を越え、この寺の山門を過ぎたところで鎌倉の町が見えるので、ホッと一息ついたのでした。その後、忍性の時に極楽寺切通が作られ、大きく様変わりしました。しかし時代は下り、新田軍の鎌倉攻めの時、極楽寺坂が戦場となり、成就院も戦火にあい、一時他の地に移らなければなりませんでした。長い空白期をおいて、江戸時代の元禄年間にこの地に戻り、再興されました。

アジサイの季節
アジサイ寺としても知られる成就院。2024年6月9日、今回は極楽寺側(南側)から訪ねました。

左側に深い極楽寺切通









明月院のアジサイは、以前と比べると代武少なくなりました。東日本大震災の後に、復興を願って2013年、南三陸町に移植したそうです。
その後、少しずつ増え、現在は戻っていますが、それでも昔から見ると少なくなったと感じるかも知れません。


境内のところどころ
成就院は切通を前にし、背後に山がそびえる平地にあるので、境内はごく狭いお寺です。本堂のお詣りを済ませたら、お庭を一巡できますが、足下に見落としてしまいそうな見どころがあるので、探しながら歩いてください。



これは近代の彫刻家荻原守衛の造った、文覚上人荒行像。文覚上人は実在の人物で、源頼朝とも関係の深い僧侶です。鎌倉とは縁が深く、大御堂にはその屋敷跡の石碑があります。同じような荒行像は材木座の補陀洛寺にもあります。 → 田楽辻子・文覚上人屋敷跡

「金魚ツバキ」といって、葉っぱの先が金魚の尾のようになっています。珍しいですね。

成就院建立寺の五輪塔の一部だそうです。


極楽寺切通を抜けて


山門前から南側へ降りると、江ノ電極楽寺駅があります。坂道を降りたところの左手には、上杉憲方墓所といわれる石塔群が残っており、おそらく極楽寺切通が開かれる前には西方寺というお寺があったところと考えられます。
また極楽寺山門から、切通の向かい側を見ると、墓地が見えます。このあたりについては、次のページをご覧下さい。