元八幡とは、その名の通り、現在の鶴岡八幡宮の元となった神社です。小さなお宮ですが、正しくは由比若宮といい、源頼朝の祖先の頼義が石清水八幡宮をこの地に勧請した由緒正しいお宮です。

元八幡にお詣りに
元八幡(由比若宮)は、材木座1丁目1番にあります。鎌倉駅からそう遠くない住宅街の一角にあります。
駅を降り、若宮大路に出たら南に向かい、鎌倉女学院前から左に入り、道沿いに進んで薬局を左に入り、博病院前を進むと左手に小さな「元鶴岡八幡宮」とある石碑があるので、その路地を入ると突き当たりが元八幡です。
この石碑を見落とさないようにしましょう。

1063(康平6)年、源頼義(頼朝の5代前の源氏の棟梁)が前九年の役で奥州に出征し、勝利を収めて凱旋したとき、ひそかに京都の石清水八幡宮を勧請(ご神体の分身を遷すこと)したのが始まりで、由比郷に作られたので、石清水に対して「由比若宮」とされました。後にこのあたりの砂丘が鶴の首のように高かったので鶴岡八幡宮と呼ばれるようになりました。1081(永保元)年に子の源義家(八幡太郎)が修復しています。

境内
源頼朝は1180(治承4)年に鎌倉に入り、大倉の地に幕府を開きました。鎌倉とは先祖が八幡宮を祀ったところ、という縁があったからです。そのとき、大倉幕府の西隣の小林郷に新たに土地を造営し、鶴岡八幡宮を造って大規模な八幡宮寺として運営するようになってから、こちらは元八幡といわれるようになりました。しかし、鶴岡八幡宮の発祥の地と言うことで、今でも鶴岡の神官は毎日遙拝所から由比若宮を遙拝しています。

大きな樹木に取り囲まれた、小さな社殿は、一間社流造、朱塗りで端正な佇まいです。境内はごくせまく、周りの民家の廂がすぐ近くに迫っていますが、いつも綺麗に掃き清められています。鳥居の近くには源義家の旗立松と言い伝えられている古木の跡が残されています。



境内の樹木




元八幡の周辺
石清水の井
神社の前の路地を左に向かうと、左手に古い井戸があります。八幡宮と縁のある石清水の井と名付けられています。いかにも古そうな井戸ですが「鎌倉十井」には入っていません。

芥川龍之介の旧居
元八幡の東隣、路地を進み、左手の駐車場に入り、アパートの建物の壁面を注意深く見ると、小さなプレートに「芥川龍之介旧居」とあります。元八幡の東隣にあたるこの地は、かつて大きな屋敷があり、大正7年、芥川龍之介はその一角の借家で平塚文子との新婚生活を送っていたところです。

芥川龍之介は、東京帝国大学を卒業した後、横須賀の海軍機関学校の英語教師となり、はじめ由比ヶ浜に住み、後に平塚文子と結婚し、この地で新婚生活を送りました。大正8年4月、文学に専念することにして鎌倉を離れ、田端に帰りました。若き日の龍之介がこの地に住み、鎌倉駅から横須賀に通っていたのですね。


路地を抜けると三浦道に出ます。写真は三浦道から元八幡方向をみたところ。右手の駐車場の向こうが芥川龍之介の旧居にあたります。かつては三浦道からこの路地に入るところに、右の写真のような「元鶴岡」とある小さな道標がありました。現在は見当たりません。皆さんグーグルの地図で行けるようになったからでしょうか。